笹かまコンビーフ

イキリキャシーが、どうでもいいことを毎週金曜に綴るだけのブログ

本物の時差~14時間の時を超えて~

わたしは今、アメリカにいる。

 

「生活リズムが狂ってシカゴ時間で生きている」

 

とかそういうものではない。

 

よくそれをネタにしていたものだが、今度は本当である。

 

イキリキャシー、イキリが高じたのかアメリカに進出してしまった。

 

予定では五月末くらいまでいることになっている。

 

イキリキャシーとはいえ、本物のイキリにはなりたくない。

 

よくいる海外かぶれにだけは絶対なるものか、と固く決意している。

 

「これはAmericaではstandardだよ。日本は遅れてるね」

 

なんて意気揚々と言いたくない。

 

それじゃイタイキャシーである。

 

そうならないように誠心誠意努力していきたいと思っている。

 

このブログもまた金曜日夕方(日本時間)に週一で再開しようと思っているので、ぜひよろしくお願いいたします。

 

アメリカにいようとなんだろうと、愚かな文章を書き続けたい。

 

とりあえずここまでで。

食欲 vs 怠惰 勝者は怠惰

 

私はすこぶる怠惰である。

 

枕元に醤油を置くくらいには怠惰である。

 

やる気になれば人が変わったように動き出すのだが、それまでが長い。

 

怠惰で課題をやらないとか、掃除をしないとか、そんな次元ではない。

 

とにかく怠惰すぎて、ご飯を作るのも面倒なのである。

 

食料調達はほとんどAmazonに頼っているし、チンすればいいとかゆでればいいとかそういうのばっかりだ。

 

しかも、毎日同じようなものを食べても飽きない。

 

だから、調理時間10分ほどで食べ物にありつける。

 

徒歩10分のショッピングモールも面倒だからAmazonに頼っているのに。

 

とにかく動きたくない。

 

起き上がりたくない。

 

面倒くさい。

 

そうやってベッドの上から動かないでいると、だんだん空腹が進行していく。

 

それでも、動いて調理する方が面倒だと感じてダラダラし続ける。

 

そして行き着く先は、空腹すぎて動けないという状態。

 

怠惰で動きたくなかったのが、今度は空腹で動けなくなるのだ。

 

こんなことなら、もっと早く食べておけばよかった。

 

真夜中、布団の中で後悔する。

 

しかし時すでに遅し。

 

食べないとさすがにまずいし、空腹で寝られないのでなんとか布団から抜け出す。

 

しかし作る気力もなくて、徒歩2分のコンビニに向かうことになる。

 

歩く方が面倒かと思うかもしれないが、何か作ると皿を洗わなければならない。

 

ご飯の前と後に「作る」「洗う」という面倒なイベントが待っているのだ。

 

コンビニで弁当を買えば、ご飯の前の「歩く」しかしなくて済む。

 

その「歩く」が「作る」「洗う」より労力(とお金)がかかるものだとしても、二回に分かれているほうがよほどいやだ。

 

私はどこまでも怠惰であり、それは食欲をも制す。

 

食欲 vs 怠惰の死闘は、怠惰の勝利だ。

 

次回は、怠惰の勝利に大きく貢献したコンビニにスポットライトを当てたいと思う。

記事切れ≠ネタ切れ

 

ブログを書く人全員が、「しまった、載せるものがない」という感情を持ったことがあるだろう。

 

何かを解説するブログや趣味を記録するブログならまだしも、このようなテーマもなく雑談とも言えないようなものだと余計だ。

 

ただ、私の場合ネタ切れで困るというよりは記事切れで困るのだ。

 

ネタに切れることはない。

 

生きている限り私は自分の周りから面白そうなテーマを拾ってくる。

 

その都度いいな、と思って下書きに残すのだ。

 

おかげで下書きには、あとから見たら何が言いたいかわからないメモも結構残っている。

 

その筆頭がこれだ。

 

sasakama-cornedbeef.hatenablog.com

 

結局私は何に後悔したのか、記事を公開した後も思い出せないままだ。

 

ほかにも、

 

「生態系を乱してしまうかもしれない身勝手なお願い」

 

「学生証を忘れ、財布を忘れた」

 

なんかがある。

 

前者は花粉症についてだと思う。

 

2年半前の下書きなので定かではない。

 

後者は最近、何度も忘れ物をしてタクシー代を無駄にした話だ。

 

メモった時は面白く書ける自信があったのだろうが、今はそんな気がしないのでボツにしようと思う。

 

一つくらいボツになったところで、ほかにもたくさん書きかけの下書きがある。

 

ネタ切れには陥らない。

 

切れる可能性があるのはやる気だ。

 

上のタクシーの例で記した通り、私はネタを思いついた時は面白く書ける自信に満ち溢れている。

 

意気揚々と書き始めるものの、飽きたり疲れたり他のことをしなければならなくなったりすると、書きかけのままにしておくことになる。

 

そしてその飽きる率が高い。

 

書きたいことだけ書いて、残りはあとで書こうなんて未来の自分に期待しすぎだろう。

 

こんなことを書きつつ、たった今私は書きかけのまま放置しようとしている。

 

私だって大学生だ。

 

課題をやらなければならない。

 

続きはあとでかこっと

 

「好きなもの」シリーズ~言葉編~

 

「好きな言葉は何ですか?」

 

これはインタビューなどでよく聞かれる質問だ。

 

インタビューなんて受ける予定は一切ないのに、私はこれを聞かれたらどうしようとしばらく頭を悩ませていた。

 

自分の芯となる考えみたいなものはあるが、それは言葉ではなくただの自分語りだ。

 

それこそイキリキャシーである。

 

特に誰の言葉や考えに直接影響を受けたものでもないし、自力で短い言葉にまとめられる技量は私にはない。

 

とはいえ、当たり障りのない普通のことを言うのは謎のプライドが許さない。

 

特に好きでもない手あかのついた言葉を「好きな言葉です」というのは違う。

 

インタビューの際はどう答えるべきだろう。

 

もう一度言うが、私はインタビューを受ける予定はない。

 

せいぜい知り合いから回ってくる、授業や卒論で使うアンケートくらいだ。

 

そんなもので好きな言葉を聞かれることなどまずない。

 

しかし、人生は何が起こるかわからないものである。

 

いつか思いついたらどこかにメモっておこう、そう決めた私は心に響くかっこいい言葉を待ち望んで生きていた。

 

 

そして私は運命の出会いをはたした。

 

ある日友人(以下お茶)に、特大ブーメランを放つのが趣味なのか?というくらいの知り合い(以下ブーメラン)の批判的な引用リツイート

 

「自分もこれやりたいって言ってたでしょ。どうした?」

 

といったツッコミとともに送ったところ、

 

「この人、自分がやってることとかやってたこととか、3日くらいで忘れてるんじゃない?笑 なんで意気揚々とリツイートしてんの笑」

 

と返信が来た。

 

この時は「意気揚々wwwww」と返しただけだったが、あとからお茶と一緒にブーメランへのツッコミ集を見返したとき、「意気揚々」という言葉が妙にツボにはまってしまった。

 

改めて「意気揚々」と向き合ってみたら、「意気揚々」が持つ微妙なニュアンスとそのシュールさのとりこになってしまったのだ。

 

「確かにダサすぎる」とお茶からの賛同を得た私は、さらに魅了されてしまうのだった。

 

我々なりに、どうにかこのシュールさを表現しようと尽力した結果がこれだ。

 

お茶「楽しそうに明るくしてる、鼻フガフガさせて力んでいるように感じる」

 

私「頭空っぽのままウキウキして何かやろうとする(そして失敗する)滑稽な姿を表す」

 

伝わっただろうか。

 

「意気揚々」のシュールさが。

 

それ以降は、隙あらば「意気揚々」を使ったり、「意気揚々」と出会うたびにお茶に報告したりする日々が始まった。

 

 

例えば、外国人教授にイラスト付きで「意気揚々」を布教するとか。

 

それをお茶に報告したLINEがこれだ。

 

私「今日外国人の教授と友人とボードゲームしたんだけど、教授に『意気揚々』教えてあげた。

私『やったー!18点かなぁ?!』

教授『キャシー、0だよ。これだとポイントはもらえないんだ』

私『えー!くっそー!忘れてた!これね、日本語で意気揚々って言うんだよ』

って感じで」

f:id:Ikiri-Kathy:20211011160442j:plain

イキヨーヨー

私「これ、意気揚々って感じだよ、って見せてあげた。後輩は『そうですかね…?』って言ってたけど」

私「そのあと別の子が意気揚々とポイント計算したとき、先生『You are イキヨーヨー!』って言ってた」

 

お茶「死ぬほど笑った笑 決して間違えてはないんだけど、教えてはいけないことを教えてる感じ笑」

 

私「教授がOhhhhhhh! You are イキヨーヨー!!!!!って言ったときは笑った」

 

お茶「もうだめだ笑 二度と意気揚々っていう普通の日本語を何の感情もなく見ることはできなそう。聞くたびにブーメランやイキヨーヨー!が出てきちゃう」

 

このくだりは、LINEのアナウンスになるほどインパクトが強いものとなった。

 

 

そしてもう一つは、「意気揚々」を解説したブログ。

 

我々オリジナルの定義だといささかフランクすぎるし、どうやってあのシュールさをまじめな日本語で表しているのかが気になり、私は「意気揚々」と検索した。

 

辞書での正確な定義やブログでの解説を、私たちはちょっと面白さを見出しすぎなもののだいたい納得できるな、なんて思いながら見て回っていたところ、あるブログがかなり異彩を放つ例文を載せていた。

 

一つ目の、

 

「意気揚々と営業活動しているので頼もしい限りです」

 

もなかなか驚いたが、さらに衝撃だったのは二つ目の例文だった。

 

「意気揚々とプレゼンしているので、とても好感が持てました。自信があるのですね」

 

思わず「ひゃあはは」と悲鳴とも笑いともつかない声が出てしまうくらいには衝撃を受けた。

 

すぐさまスクショを撮り、URLをお茶に送った。

 

私「え?!?!私こんなの絶対言われたくない!『意気揚々とプレゼン』とかマジやばいやつじゃん、これで『自信があるのですね』とか言われたら皮肉でしかない」

 

お茶「あんまり、こういう良い場面では使わない感じするよね。言われても、もうバカにされたとしか思えないよ笑」

 

私「だよね?!私これ言われたら泣いちゃうよ。絶対この場面じゃない」

私「「意気揚々と」の類義語や言い換え | 大手を振って・勝ち誇ってなど-Weblio類語辞典 (←URL)私類語辞典好きなんだけど、これほんと面白いし、我々にとっての意気揚々ってこれだよね。ニンマリ顔で、とか鼻息の荒い、とかマジでそう」

 

お茶「まさにそのイメージだよね!」

 

 

さらには、自分が書く文章にこれでもかと入れる始末だ。

 

先週投稿した尻破れエッセイにも、ふんだんに使用されている。

 

↓これ

 

 

sasakama-cornedbeef.hatenablog.com

 

 

ここまで日常に「意気揚々」が浸透しているなんて、よほど私は「意気揚々」という言葉が好きなのだろう。

 

「意気揚々」という言葉が好き…?

 

そうだ、これだ!

 

「好きな言葉は何ですか?」の答えは、これだ!

 

「私の好きな言葉は『意気揚々』です」

 

いつかインタビューをされる時が来たら、私は意気揚々とそう答えるつもりだ。

 

かっこいい言葉じゃなくていい。

 

「意気揚々」が私の心に響いたんだから、これでいいのだ。

尻破れ vs イキリキャシー

私は様々な文章を書いてきたが、その中でもお気に入りのものを公開したいと思う。

これを書いたのは一年前。

ようやく日の目を見ることになった尻破れエッセイだ。

 

 

必死に風と雪に立ち向かいながらアパートに帰ってきた私は、暖かい部屋に安心して荷物を置いた。

しかし、なぜか寒い。

寒いというか、風通しがいいというか。

しかも非常に局地的なものだ。

なんとも形容し難い違和感の正体を暴こうと思い、手を尻に置く。

私が有能だったのか、そいつの主張が激しすぎたのかはわからないが一瞬で気づいた。

ああ、尻破れだ。

ジャージの尻が破れてやがる。

 

ジャージが破れたのは初めての経験ではない。

もう一本のお出かけ用ジャージは、弁慶の泣き所が破れている。

そこが破れたところで特に支障はないので、一年半履き続けている。

しかし尻となると話が違う。

下手したら警察沙汰だ。

自分がお縄になるかもしれないし、誤って直視してしまった人をお縄にさせてしまうかもしれない。

それは避けたい事態。

尻破れのせいで自分や他人の人生を棒に振るなんて、とんだ害悪プレイヤーである。

だからといって安易に捨てるなんてできない。

尻破れだって4年の時を共にしてきた仲間だし、何より大切な戦力だ。

弁慶の泣き所破れ一本だけで生活するのは不可能である。

とりあえず縫うしかない。

破れたものは縫う。

シンプル・イズ・ザ・ベストってやつだ。

早速針と糸を買おう。

 

とはいえ外出する機会なんてそうそうない。

ただでさえ出不精な自分が、たかが針と糸のために10分かけてイオンに行くなんてありえない話だ。

家では高校のジャージ2本も戦力に加わるため、1本減ったところでさほど支障はない。

私は尻破れを尻目に、残り3本を使い回して1週間ほど過ごした。

しかし今は良くても、問題は4月以降。

4月に入れば大学が始まり、通学することになる。

キャンパス内だとしても、尻破れのままうろうろしていれば、いずれ他の学生を警察沙汰にさせてしまうかもしれない。

未来ある大学生の人生を守るためだ。

私は勇気を出して、徒歩10分のイオンに向かった。

 

100均は裁縫に疎い人間にも優しいようで、裁縫セットというものを入手することができた。

針と糸さえあればいいと思っていたが、まち針や糸通しなどの便利グッズも付いてきた。

まち針は覚えている。

縫う場所がずれないように押さえておくあれだ。

私は意気揚々とまち針をジャージに刺した。

うん、ここまでは順調だ。

この通りに縫えば、尻破れは塞がる。

裁縫チャレンジの三割くらいは終わったようなものだ。

本当はこれで完成にしたいが、針が2本刺さったまま履いてしまうと、私の尻本体が危ない。

やはり、縫うしかない。

 

意気揚々と糸通しで針に糸を通したはいいものの、どうもその先が思い出せない。

糸を縛らなければならないのは明らかだが、やり方どころかその名称も忘れた。

最後に裁縫をしたのは、おそらく高校1年生の時に家庭科でクマのぬいぐるみを作った時だ。

覚えているのはクマの柄くらいで、それ以外はさっぱり覚えていない。

今までの家庭科の先生たちに対する申し訳程度の罪悪感を抱きつつ、また教育の意義を問いながら

「裁縫」

と検索する。

世の中は裁縫に疎い人間にも優しいようで、「裁縫」だけで初心者向けサイトがずらりと並ぶ。

そこでようやく、糸を縛ることを「玉結び」と呼ぶのを思い出した。

縫い方より前に玉結びの方法を知る必要がある。

再び

「玉結び」

と検索し、一番上に出てきたサイトを覗いてみる。

そういえば人差し指に巻きつけるシステムがあったなぁ。

説明もろくに読まず、私は意気揚々と人差し指に糸を巻いて親指でこすり、糸を引っ張ってみた。

こんな感じだったはずだ。

しかし玉はできずに糸はピンと真っ直ぐに張っている。

巻いてある糸をほどく時はあんなに絡まるくせに、どうして絡まって欲しい時には絡まないのか。

人生とは思うようにいかないものだ。

まぁ5年のブランクがあれば玉結びができなくても仕方ない。

とにかく人差し指に巻いた糸をゴシゴシ親指でこすることで糸をよじらせ、玉を作ることを目指せばいいのだ。

どうせ説明にもそんなことが書いてあるのだろう。

写真を見れば大体わかる。

なんのために丁寧な解説付きのサイトを見ているのか分からないが、とにかく私は糸をよじり続けた。

 

複数回のよじりを経て、ようやく糸が絡まった。

ようやくスタートラインに立てたようなものなのに、これで裁縫チャレンジの半分はクリアしたようなものだ!と浮かれた私は糸を引っ張った。

しかし絡まった糸は、少しのたゆみを残したまま動かなくなってしまった。

引っ張っても、うんともすんともいわない。

玉というより、水ぶくれだ。

半分はクリアしたなんて、とんだうかれぽんちである。

しかし玉の部分が多少かさばっていたとしても、引っ張って動かないならそれは縛れているということなので、問題ないはずだ。

人間は見た目じゃないし、糸もまた然り。

玉が水ぶくれになっていたっていいじゃないか。

気を取り直して私はついに針を尻破れにそっと刺した。

 

刺した瞬間、勘の鋭い私はすぐに気づいた。

「これは不可能だ。完成する未来が見えない」

さっきまであんなに意気揚々とまち針を刺したり、針に糸を通したり、水ぶくれ結びを作ったりしていたのに。

人間とは不思議なもので、一気に失敗する自信を持ちはじめる。

しかし裁縫に疎い人間のただの勘。

具体的にどう失敗するのかは分からない。

とりあえず5チクチクくらいしてから様子を見よう。

そう思いながら、1チクチク目のために針をすーっと通す。

通したつもりだったのだが、針がジャージから抜けた瞬間に針は動かなくなってしまった。

どうした、事切れるにはまだ早いぞ。

そう思って様子を見てみると、どうやら先ほどの水ぶくれ結びのせいみたいだ。

結び目がかさばってても、引っ張って動かないならいいじゃないかと軽視していた水ぶくれ問題。

たしかによく考えてみれば、結び目がかさばってたら針の先が開けた小さい穴なんて通れないに決まってる。

失敗してしまったのでやり直そう。

そう思って針をバックさせようと思ったが、やはり動かない。

針自体は通り抜けてしまったせいで、針の先が刺した穴に針の頭を通さなければバックできない。

もう無理だ。

にっちもさっちもいかない。

1チクチクすらできないんだから、完成する未来なんて見えないに決まってる。

針をバックさせることも、糸を切ることも放棄した私は最終手段、「誰かに尻拭いならぬ尻縫いをしてもらう」を頼ることにした。

 

まち針2本、水ぶくれ付きの糸が通っている縫い針の計3本が刺さっている尻破れジャージの写真を撮り、

「尻拭いとして尻縫いしてくれる人いますか」

SNSに載せる。

仲の良い友人はみんな実家だし、そもそも私は友人が多い方ではない。

ダメ元で載せた直後、ある友人から反応があった。

実家にいる友人だけど家庭科の教職取ってる人なので、何かしら教えてくれるのかなぁ、なんて思いながらDMを開く。

そこには

「マジな話買った方が早い」

の一文。

私は

「そうよね」

と返し、尻破れジャージに戦力外通告をすることに決めた。

私と尻破れジャージが過ごした4年間は、友人の言葉により一瞬で消え去ったのだ。

私は意気揚々と、新しいジャージを買いに行く店を探し始めた。

 

 

ちなみに、この尻破れジャージは尻に糸付きの針が刺さったまま物干しざおに干されている。

戦力外通告をされたのだから、干されたままなのは当然だろう。

干された芸能人は芸能界に帰ってこないし、干された尻破れジャージは一軍に帰ってこないということだ。

ただいま考え中なのでるるるの歌を聴いていてください

 

10月7日の投稿で、「味楽る!ミミカ ナンバーワン」と「ゆうがたクインテット」のOPの話をした。

 

これ↓

sasakama-cornedbeef.hatenablog.com

 

 

その「あなたへのおすすめ」で出てきた懐かしい曲たちの話をしたい。

 

まずはこれだ。

 

youtu.be

 

ただいま考え中。

 

これもクインテットOP同様、内容はさっぱりわからない。

 

しかしクインテットOP同様、いやそれ以上に私の脳内に張り付いていた。

 

学校で流行っていた気もするし、隙あらば脳内で歌っていた気もする。

 

中毒性の塊である。

 

そしてイラストも可愛いじゃないか。

 

左端の男の表情は、意外とよく変化している。

 

「ただいま考え中」とうめきながら頭を抱え汗を流してまで焦っている彼は、何に悩んでいるのだろうか。

 

この番組を見ていたよいこのお友達にはまだわからない苦悩だろう。

 

15年後、おおきいお友達となった私には心当たりがたくさんある。

 

「ただいま考え中」といって決断を保留に出来る世界線に行きたいものだ。

 

「はやくしてちょうだい」の時、右側にいる犬だか何だかがみんなして男にかじりついているのもいい。

 

いつまでも買うものが決まらない友達とコンビニに行き、「早く決めてよ!」っていうあれを思い出す。

 

「まだまだ考え中!(ブチギレ)」

 

みたいなラストも好きだ。

 

部屋の掃除をしなさいと親に言われ、「いまするところだったの!」っていうあれを思い出す。

 

懐かしい曲のコメント欄というのは面白いものだ。

 

誰しもが持っている幼少期の思い出にあふれていてほっこりした気持ちになる。

 

コメントの多くが同年代の人たちというのもまたいい。

 

きっと今大学生で課題と戦ったり進路に悩んだりしているとか、社会人になって数年経ちどうにか慣れてきたとか、そういった人たちなのだろう。

 

そんなコメント欄だが、「ただいま考え中」のお気に入りコメントはこれである。

 

「手を口に突っ込むシーンを実際にやったら抜けなくなって病院に行って、なんで口に突っ込んだの?笑 って医者に言われました」

 

こういう、誰も持っていないだろう幼少期の思い出が一番好きだ。

 

これを読んでやろうとしてみたが、さすがに大人には無理そうだ。

 

口の準備運動を済ませ、いかに手をコンパクトに握れるかを追求してからチャレンジすれば希望は見えそうだが、私の外見上の魅力である手指を犠牲にしてまでやることではない。

 

もう一つ出てきたもの。

 

実はこれをきっかけにこの記事を書こうと思ったのだ。

 

youtu.be

 

るるるの歌である。

 

リアタイ勢ではなかったが、なぜか聞き覚えがあったのはきっと一瞬どこかで耳にしたからだろうと考えられる。

 

それだけで記憶に残るくらいにキャッチーなメロディだし、謎の中毒性のおかげで何回でも聴ける。

 

一人真っ暗な部屋の中で聞いていると、その状況にツボってしまう系である。

 

歌詞のしょうもないパロディに笑っていいねを押しながらコメント欄をスクロールしてみる。

 

「成長すると未来編などの意味が理解でき確かに教育番組で流すべき内容だとは思った」

「今思うと深い歌」

「メッセージ性がある」

 

といったコメントが散見していたので、「未来編(動画5:06)」まで飛ばすことにする。

 

なるほど、これは深い曲である。

 

地球温暖化に気を付けましょう!」みたいなよくある啓発動画よりよほど恐ろしさが伝わってくる。

 

小学生に刺さるかはさておき、この曲は大学生には刺さる。

 

見終わった後にはじまり編から通してみて、ストーリー性があったことに気づき何度も通して見る。

 

はじまり編の最初に「きる きる なくなる」といって男が木を切っているシーンがあるのだが、きっとそれは伏線だったと思われる。

 

るるるの歌、一度聴いてみることをお勧めする。

 

るるるるるーるーるるるるるー

 

るるるるるーるーるるるるるー

 

るるるるるーるーるるるるるーるるるー

 

るるるるるるるー

味楽る!ミミカ ナンバーワンをクインテットで演奏してください

 

私はよくYouTubeを見る。

 

特定のチャンネルやジャンルにこだわっているわけではないので、おすすめも雑多だ。

 

しょうもないMADなんかが出てくることも多く、友人に勧めると「こんなのおすすめに出てこないよ?!」と驚かれるなどする。

 

おすすめに出てきて嬉しいのは、そういうしょうもないMADと懐かしい動画だ。

 

昔流行った動画や曲が出てくると感動してしまう。

 

最近嬉しかったのは、「1990年代後半生まれのNHK懐かしい番組・アニソンメドレー」という動画だ。

 

↓これ

youtu.be

 

今日は、そんな懐かしい曲の話をしたい。

 

私の家ではディズニーチャンネル以外の視聴は基本禁じられていた。

 

なぜか例外としてコードブルーは認められていた気がするが、禁じられていた故にプリキュアやらポケモンやら、有名どころさえ見たことがなかった。

 

ポケモンは、眼科でマンガを読んだのが数少ないふれあいだったと思う。

 

そんな私が地上波を見られる数少ない機会が長期休みだった。

 

うちは両親が共働きだったため、小学校低学年までは祖父母の家に預けられていた。

 

日中は農作業を手伝い、NHKの「スタジオパークからこんにちは」を見ながら昼ご飯を食べ、夕方はEテレを見ながら母の迎えを待つ。

 

確かそんな日々だったと思う。

 

ちなみにこの「スタジオパークからこんにちは」も、たった今まで内容どころか名前すら覚えていなかったが、主題歌の「おかえりなさいが待っている」のフレーズを頼りに検索してみた。

 

「おかえりなさいが待っている」ももちろんだが、wikiで「生中継 ふるさと一番!」という文字を見て非常におセンチな気持ちになった。

 

祖父母の家のブラウン管テレビを触って静電気で遊んでいた記憶までよみがえる。

 

私の幼少期は、液晶テレビでのディズニーチャンネル、ブラウン管テレビでのNHKだったのだ。

 

触れる機会が少なかったので内容は覚えていないが、音楽だけはやけに記憶に残っているようで、上の「1990年代後半生まれのNHK懐かしい番組・アニソンメドレー」を聞いたとき「お~!」と一人感嘆の声をあげてしまった。

 

私が覚えていたのは、「味楽る!ミミカ ナンバーワン」と「ゆうがたクインテット」だった。

 

味楽る!ミミカ ナンバーワン」はとにかく料理名を羅列しているので、おそらく料理番組を模したものだったのだろう。

 

それくらいの認識なのに、曲だけはやけに覚えている。

 

思ってたよりイントロのキーが低かった気がするが、まぁ15年前の記憶なんてそんなものだ。

 

私のお気に入りは、動画の5:10ごろの

 

「ビビンバ ズッパ タンタンメ~ン」の「タンタンメ~ン」の「メ~ン」

 

である。

 

「メェ~ン」みたいな、間延びしたような、上がって下がる感じが面白い。

 

「メェ~ンって笑」といった気持ちになる。

 

その次にあるのはゆうがたクインテットのオープニング。

 

料理名を羅列する「味楽る!ミミカ ナンバーワン」とは違い、ゆうがたクインテットの歌詞からは放送時間しかわからない。

 

「ゆうやけそらがそまるとき きこえてくるよ ゆうがたクインテット

 

これしかヒントがない。

 

夕方に放送されていたことくらいは覚えている。

 

クインテットと冠している以上、音楽に関する何かなのだろう。

 

「当時は "You got a Quintet" だと思ってたけど、ゆうがたクインテットって歌ってたのか!」と思って歌詞を調べたら、"You've got a Quintet" だった。

 

時制が違っただけなのでニアピン賞である。

 

齢6くらいのくせに生意気な話だ。

 

それにしても、ずいぶんと素敵な曲じゃないか。

 

素直にそう思える。

 

「そら げんきも ゆうきも わいちゃうぞ

ららら たのしく みんなで さわいじゃおう

なみだ なんかは かわいちゃう

きがつきゃ ほら はるのゆめのなか」

 

で涙が乾くどころか、むしろ涙が出そうになる。

 

番組内容は覚えていないのに、15年前おばあちゃんちでお母さんのことを待っていた6歳ごろの自分を思い出す。

 

ちなみに「豆を年の数食べるなんてさぞかし大変でしょう」と言って母と祖母の豆をむさぼったのもこのころだ。

sasakama-cornedbeef.hatenablog.com

 

豆で怒られることはなかったが、ふかしたジャガイモに醤油をかけすぎては怒られていた。

 

祖母よ、私は未だに調味料をかけすぎるけがある。すまない。

 

それでも醤油漬けのふかしたジャガイモはおいしかったのだ。

 

味楽る!ミミカ ナンバーワン」に出てくるきらびやかな料理より、私はこういう素朴な料理が好きな子だったし、今でもそれは変わらない。

 

同様に、私は「味楽る!ミミカ ナンバーワン」よりゆうがたクインテットのOPの方が好きだ。

 

しかし、「味楽る!ミミカ ナンバーワン」はSpotifyにあるくせに、ゆうがたクインテットはないのだ。

 

もちろん「味楽る!ミミカ ナンバーワン」に恨みがあるわけではない。

 

味楽る!ミミカ ナンバーワン」も楽しい曲だ。

 

「タァンタァンメェ~ン」のところなんて楽しいにもほどがある。

 

ただ、「味楽る!ミミカ ナンバーワン」は別に繰り返して聴いたり課題のお供にしたりしたいわけではない。

 

ゆうがたクインテットはぜひ課題のお供としてデビューしてほしいのに、困ったものだ。

 

作業用BGMとして出してくれている人もいないので、ゆうがたクインテットだけ入れたYouTubeのプレイリストをループ再生するほかない。

 

YouTube premium会員だと広告の心配なく聴けるので課金万歳である。

 

この文章も、ゆうがたクインテットを聴きながら書いている。

 

だんだん日も暮れてきて、いい感じの時間帯だ。

 

さて、来週は「1990年代後半生まれのNHK懐かしい番組・アニソンメドレー」のおすすめから発掘された懐かしい曲たちの話をしたい。