さて、最後のエピソードはかなり強烈だとわたしは思っている。
あれは中学3年の春。
今でも覚えている。
また母と喧嘩したわたしは、自ら家出宣言をした。
しかし資金がない。
よって資金をねだろうと母に詰め寄ったら、面倒だったのかなんなのか1万円を渡された。
おったまげた。
これはホテルにでも泊まりに行こう。
お泊まりが好きな上に、またもや楽しさがこみ上げてきたわたしは、意気揚々と家を出た。
向かうは駅。
バスで行くと30分ちょい、500円程かかる距離だ。
通学にバスを使っていたためバス自体に特別感は抱かなかったが、家出にバスを使ったのは初めてだったのでどうにもワクワクしていた。
とりあえず駅の近くのホテルは1万円もいかずに泊まれるはずだ。
ビジネスホテルという単語は知らなかったが、なんとなくそのような知識はあったしあてもあった。
しかし翌日は学校だ。
服がないぞ。
わたしの中学は私服登校だったため、とりあえず安い服を買えばいいやとわたしは途中下車をし、少し歩いて小さなショッピングセンターのようなところに向かった。
これまたバス停から少し離れたところにあるのに、よく記憶を頼りにたどり着いたと思う。
そこでわたしはなるべく安く済むように服を購入し、再びバスに乗った。
バス代に関しては、バスカード(テレホンカードのバス版。首都圏では無いらしいので地方限定か?)を持っていて、残金もあったので問題なくやりくりできた。
そして、駅に着いた後これまた記憶を頼りにホテルをさがしだす。
記憶の中にあるよりボロかったが、まぁ泊まれればなんだっていい。
わたしはそのボロいビジネスホテルに入っていった。
時効だろうから言うが、そのホテルは泊めてくれたのだ。
当時はスマホを持っていなかったし調べずに中学生って一人で泊まれるのかな〜追い返されたら困るな〜なんて呑気に考えていたが、今考えれば普通は泊めないだろう。
ドキドキしながら宿泊者カードに生年月日を正直に記入したが、本当に問題なく泊まることができた。
アダルティな番組も無料で見ることができ、あのホテルは非常に怪しいホテルだった。
そんな怪しいホテルに泊まり、よく生還したと思う。
翌朝、わたしは適当にサイズを見ずに買ってしまったダボダボの服を着て同級生の前に現れた。
ホテルから登校してきた、というと驚く驚く。
わたしが友人の立場でも驚くだろう。
あたり前田のクラッカーである。
高校生になってからは、お金を渡され自分でご飯をどうにかするシステムになり、朝型の母と夜型のわたしはそもそも顔を合わせること自体が少なくなり(だいぶ変わってる家庭なのだ)、事務連絡は置き手紙となり、だいぶ自立度が増したので喧嘩がそもそも減り、喧嘩をしても家出に考えが至ることはなくなった。
お金はもらっていたし、洗濯はしてくれていたし、掃除もたまにしてくれていたので完全な自立ではないが、普通の高校生と大学生の間のような生活をしていた。
そんなこんなで小さな冒険家の最後の冒険は、もう5年ほど前になる。
あのワクワクは、壮大な家出をしたものにしか味わえないだろう。