わたしは高校生の時、古典作品を自分の言葉で訳すのが好きだった。
口語訳といえば伝わりやすいだろうか。
一番例えとしてわかりやすいのは、マニアックな方ならご存知かもしれないが、橋本治さんという方が書いた、「枕草子 桃尻語訳」である。
これは、清少納言が現代のギャルっぽく口語で枕草子を書いているという設定なのだが、口語訳かと思いきや驚くほど逐語訳なのである。
学校で学ぶ現代語訳は、婉曲表現を補っていることが多いが、そういうことは一切ない。
どこまでも口語らしく逐語訳を貫いている。
古典が得意な人にはもちろんだが、わたしは古典が嫌いだったりとっつきにくいなって感じている人にこそ、この本を読んでいただきたい。
これに近いものを作るのが好きなのだ。
きちんとまとまった文章に起こしたもののひとつに、「平家物語」の冒頭がある。
これは高2の時に作ったものである。
塾の古典の先生(平家物語を研究していたとのこと)に、
「悔しいが褒めざるを得ない」
と言わしめた作品だ。
名前が堅苦しいのでギャルっぽいあだ名にしたく、わざわざギャルっぽいあだ名のつけ方を検索してつけたので少し変かもしれない。
しかも橋本治さんの桃尻語訳を読んだ後、この出来が恥ずかしくなった。
しかしそれも含めてまた一興である。
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ギオンの鐘の音、なんか世の中のものすぐ変化してすぐバイバイしちゃうよー的な感じするよね。
ツバキもどき的な花あんだけど、それの色もまじやばいから。調子こいてるやつはすぐ陰キャになる的なこと言いたげ。
ほんとまじで、ちょづいてるやつってすぐ消えるから。春のさ、夜の夢的なノリで。
ちょーテンアゲだったやつとかも、風の前のホコリみたいにピューってなるし。
めっちゃ遠くの外国見るとさ、秦のちょたそ(趙高)、漢のおもてぃ(王莽)、梁のしゅーちゃむ(朱异)、唐のろくにゃん(碌山)とか、政治サボって、めっちゃバイブスぶち上げてパリピって、市民みんなおこなのシカトしてたら、わりとすぐめにばいばいしちゃったんだよね。
まぁうちらの国も見てみるとさ、承平のまさぽん(将門)、天慶のすみしゃむ(純友)、康和のしんたん(義親)、平治のしんぽむ(信頼)、みんなこいつらやばたんピーナッツだったけど、めっちゃ最近だと、たいらのあっさむきょんたや(清盛)が、ガチめにマジでやばかったっぽいよ。
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いかがだっただろうか。
頭の悪そうな訳だが、これは原文をきちんと理解していないとできない訳なのである。
まぁこのように語ってはいるが、わたしは古典が苦手だった。
別に文学部でもない。むしろ国際系の学部である。
どうにも古典単語を覚えるのが下手くそだったのだ。
辞書さえあれば楽しく読めるのだが、そうもいかない。
なので古典の問題を解くときの一番の楽しみは、解き終わった後現代語訳を読んで楽しむことだった。
教科としての歴史や古典は嫌いだし苦手だったけれど、昔の人たちの感性は好きだ。
そこまでいうのに古典が嫌いだったのは、やはり暗記が大っ嫌いだったからなのである。