笹かまコンビーフ

イキリキャシーが、どうでもいいことを毎週金曜に綴るだけのブログ

小さな冒険家 〜前編〜

 

イキリキャシーは自立心を養われる家庭(といえば聞こえはいい)で育ったため、幾度か家出もしてきた。

 

その中でも愉快だなと思った三つのエピソードを紹介しようと思う。

 

初めのエピソードは、確か幼稚園生の時だった。

 

母に怒られ、家に入ってくるんじゃない出て行け!と鍵を閉められたわたしは、いつも通り物置に入った。

 

しかしいつもと同じでは芸がないとでも思ったのか、面倒になってきたのか、わたしは行き先を変えた。

 

もうこっちから願い下げだと言わんばかりに、幼稚園児のイキリキャシーは近所の駐在所へ向かった。

 

そう、わたしの実家はそこそこな田舎にあるので警察署や交番ではなく、駐在所があるのだ。

 

20歳あたりのイキリキャシーの足では10分もせずに着く距離、道も一度曲がるだけの単調なものだ。

 

しかし幼稚園児にとっては冒険。

 

緊張しながらわたしはいつも車から見る記憶を頼りに道を踏みしめていった。

 

ここでなんとも可愛らしいのは、

 

「困ったら警察の人に言うんだよ」

 

という母の言いつけを、家出してもなお固く守っていたことである。

 

幼稚園児にしては物知りなイキリキャシーはそこが駐在所であることも駐在所がなんたるかも知っていたし、そこに行こうと決めたのだ。

 

なんとも可愛い話だ。

 

ところで話を戻すと、無事駐在所についたわたしは駐在さんに

 

「家出してきたんです。どうしたらいいですか」

 

のようなことを申し出た。

 

この時のわたしは、自分の申し出でどっか施設のようなものに連れていってもらえると思っていた。

 

なんだか今こう書き起こしてみると、少し恥ずかしい。

 

駐在さんは、

 

「そっかぁ。じゃあ自宅の電話番号教えてもらえる?」

 

と少し困ったように笑った。

 

一応連絡でもするのかなぁと深く考えずに、わたしは自宅の電話番号を伝えた。

 

当たり前だが数分もせずに父が迎えにきて、

 

「機転の利く賢い子だなぁ」

 

と笑われながらわたしは回収されあっけなく帰宅した。

 

我ながら、健気な可愛らしい話だ。

 

とはいえ、少し恥ずかしいのも事実。

 

二つ目の話は、かなり飛んで小学校高学年ごろだった気がする。

 

その間も家出はしていたが、そこまで詳しく覚えていないし面白くもない話だ。

 

この家出は、一つ目のエピソードを少し壮大にしたようなものだった。

 

この頃のイキリキャシーは、自転車という文明の利器と広い行動範囲を手に入れていた。

 

そのため、15キロ離れた祖母の家に自転車で行くことにしたのだ。

 

時間は夜10時頃だった気がする。

 

補導されてもおかしくない時間帯だ。

 

小学生にしてはたいしたもんである、その時間に記憶を頼りに15キロの道のりを子供用のチャリで走りきるなんて。

 

とはいえ辛いと思いながら走っていたわけではなく、途中から楽しくなってきたのを覚えている。

 

自分面白いことしてるなぁ、とも思っていた。

 

実際、約10年後の自分がブログのネタにするくらいには面白い。

 

しかし同時に危ないことでもあるので、あまり推奨はしない。

 

このご時世、夜にシャカシャカ自転車を漕ぐ女子小学生を連れ去る人がいないとは言い切れないのだ。

 

流石にこのブログにたどり着く方の中では女子小学生はマイノリティかもしれないが、一応忠告。

 

閑話休題

 

とにかくわたしは1時間以上かけて、祖母の家にたどり着いた。

 

もちろんこっぴどく叱られたが、わたしとしても引くわけにはいかない。

 

祖母の家にはおじおば夫婦も住んでいたため、ヒートアップした口喧嘩にふたりが仲裁に入った。

 

拗ねたわたしを、おばがファミレスに連れて行ってくれていろいろと諭された気がする。

 

今思えば、孫とはいえ夜遅くに泊まらせてくれと飛び込んでくるのは大変に無礼である。

 

またも家に連絡をされたが、あまりに夜が遅いためにその夜は祖母の家に泊まり、翌朝母がわたしを学校に連れて行くことが決まった。

 

わたしはお泊まりが好きなので、こんな形でもお泊まりができたことに喜んでいた。

 

なんともアホである。

 

三つ目のエピソードは、一番強烈だと自分では思っている。

 

しかし強烈すぎて字数も強烈になりそうなので、続きは次回の更新で。

 

これが焦らしプレイというものだろうか。