このブログのレアキャラ、真面目な記事の登場だ。
元号がなんだろうと、イキリキャシーはイキリキャシー。
もしこれが大化とかそこらへんの時代だったらイキリキャシーはイキリキャシーでないかもしれないが、平成と令和に関してはとりあえずイキリキャシーはイキリキャシー。
残念なことに特にアップグレードすることもなければ、逆にダウングレードすることもない。
世の中が「平成最後の日」と盛り上がった4/30、イキリキャシーは全く関係のない「言い訳シリーズ」を投稿した。
「平成最後」というと、途端になんだか何かをしなくてはならないような気持ちになってしまう。
そんなプレッシャーを感じても仕方がない。
なのでわたしは特別なことはせず、いつもの年越しのような気分でいた。
そう、元号が変わるというのは少し年越しに似ている。
年が変わる、元号が変わる。
毎年大晦日は特別なことをするわけでもなく、昼まで寝て好きなことしてガキ使をみて、いつのまにか年が明けている。
なので平成最後の日、平成大晦日は昼まで寝て好きなことをして過ごした。
ガキ使がやっていなかったのは残念である。
どちらにせよテレビが自宅にないので見るすべはないが。
ちなみに平成大晦日はゲーム作りに没頭した。
今年の春から寮ではなく学外に家を借りて通うことになったのだが、その家探しをしたり、寮から引っ越しをしたり、自宅から寝坊せずに大学に通ったりするRPGだ。
冬にプログラミングの授業をとったのでその知識を利用している。
文系なもので内容は深くはやっていないが(わかる人へ: C#のconsole appを一通り触ったくらい)どうやら数学が好きなイキリキャシーには向いていたみたいで、割と使いこなせている(と思っている)しとても楽しくて好きだ。
好きが高じて、また持ち前の訳のわからないこだわりで、凝ったRPG作りに励んでいる。
さて長くなってしまった、閑話休題。
わたしの平成大晦日は、ゲーム作りで過ぎていった。
これから、平成から令和になった瞬間何をしていたかと聞かれることがあるだろう。
そんな時に、ゲーム作りって答えるのはなかなかシュールでいい。
また、元号に関してはそのように冷めた考えでいたイキリキャシーだが。
元号が変わったということは「日本の象徴である天皇陛下」が変わったということなのだ。
歴史が紡がれていく、そのつなぎ目に生きている。
日々だらだらとゲームをしたり、ゲームを作ったり、動画を見たり、お菓子を食べたり、課題をしたり、ブログを投稿したり、まれに真面目なことを考えたりしているだけのただの女子大生が、この瞬間に立ち会った。
身近な変化は元号だけれども、もっと根本での変化が4月30日と5月1日の間にあったのだ。
しかし元号が変わったところでイキリキャシーはイキリキャシー、相変わらずくだらない投稿を毎週火金に投稿します。