わたしは、なにかのコンセプトを間違って覚えてしまっていることが多々ある。
というよりかは勘違い、だろうか。
よくよく考えたらたしかにそうだ!という気分になる。
例えるなら、図鑑で名前と写真が合ってないようなものだ。
その中の代表作は、イソギンチャクとクラゲ。
わたしは高校生になるまであのぷかぷかしたjellyfish=イソギンチャクだと思っていた。
そして本物のイソギンチャクのことは、海底に生えてるサンゴ礁の仲間的な認識でいて、特に名前を知ろうとも思わなかった。
日常会話の中でふと気付いた時は衝撃だった。
しかし15年以上も染み付いた概念はそう簡単に変わらない。
今でもイソギンチャクと言いそうになってしまい、そういえばあいつは「イソギンチャク」じゃないんだなと思いとどまる。
けれどもどうしても「クラゲ」は出てこない。
先にjellyfishが出てきてしまう。
英語ならば、jellyという単語が先頭についているのでイメージしやすいのだ。
実際この記事を書に始めるときも、しばらく「イソギンチャク」と “Jellyfish” が頭の中でぐるぐるしておりなかなか「クラゲ」が出てこなかった。
「日本語難民」なんて言葉もあるが、これはそう、「クラゲ難民」ではないか。
これはわたしにとっても不思議なのだが、今までどうやって生きてきたのだろう。
小学生の頃、国語でイソギンチャクとクマノミを題材にした説明文が出てきた。
写真も載っていたはずなのに、なぜ気づかなかったのか。
あのとき自分はなんの違和感も抱かず読んでいたということになる。
あのぷかぷかしている海洋生物とクマノミの共生はイメージしにくいだろう。
にもかかわらず、平気で受け入れてしまっていたのだ。
小学生の頃から非常に自由勝手に世界を作り上げていた、それがイキリキャシー、
似たエピソードはたくさんあるはずなので、思いつき次第また記事にしようと思う。