「困った時の神頼み」という慣用句が表す身近な状況として有名なのは、腹痛に苦しんでいる時だろう。
トイレで悶えながら普段存在すら意識してない神に懺悔し、許しを乞う。
身に覚えがある人が多いのではないだろうか。
わたしはもう一つ、いい具体例を思いついた。
パソコンがフリーズした時である。
何か手続きをしている最中。
創作をしている最中。
資料集めをしている最中。
レポートを書いている最中。
大学生にとって、最後の二つは大打撃である。
いや、最悪資料集めをしている最中なら、履歴から遡ればどうにかなる。
最悪なのはレポートだ。
以前わたしはレポートを、完成間近にして失ったことがある。
何時間もかけたレポートである。
「自動回復されたファイル」とやらが、真っ白だったのだ。
たしかに、保存せず数時間席を離れた自分が悪い。
むしろこれでOneDriveが正しいファイルを自動回復してくれたなら、大感謝祭間違いなしだろう。
しかし、復元してくださったのは真っ白なファイル。
茫然自失とするわたしのまえで、カーソルは手持ち無沙汰に点滅していた。
わたしは最後の望みをかけて、そう、神に祈りながらOneDriveの「以前のバージョン」を探し回ったりなどした。
血の気は引いており、心の中では雨乞いならぬデータ乞いが開催される。
しかしやはりそこにあるのも真っ白な文書のみ。
無慈悲な神よ、と嘆いても日ごろから信心深いわけでもないわたしだ。
神からしてもきっとお前などにかける情けはない、といった具合だろう。
さらにどう考えても保存しなかった自分が悪い。
腹痛は大抵の場合しばらくすれば治る。
しかしレポートは再び書かなければ戻ってくることはない。
この二つの最大の違い、神への思いの違いはここにある。