人間誰しも黒歴史というものがある。
このブログだっていつかは黒歴史になるかもしれない。
すでに、
「あいつこんなの書いて将来黒歴史だぜw デジタルタトゥーw」
とバカにされている可能性もある。
それは将来のわたし次第だ。
将来のわたしにバカにされたらショックだが、現在の他人にバカにされていようと
「ああ、そうですか」
となるだけである。
わたしのことが嫌いな人で、腹いせで言っているんだとしたら
「それってあなたの感想ですよね?」
と某掲示板設立者の方のようなことを言ってしまいそうになるが、それもまぁ腹いせのようなものかもしれない。
とにかく、どう思われようといいのだ。
すでに黒歴史化したブログに比べたら、どうせこんなの大した黒歴史にならない。
一応非公開の状態で残しているのだが、もう頭を抱えながら読むことしかできない。
ならなぜ消さないのか、という意見も出そうだが、わたしは残すタイプだ。
数多いわたしの謎のこだわりの一つである。
中学時代は黒歴史量産機として生きていた。
そりゃあもう、こんなところに書けないものだらけだ。
存在が黒歴史である。
そんな黒歴史の擬人化のような中学生のわたしが生み出したのが、黒歴史ブログ。
中身も相当なものだが、ペンネームが相当キツい。
キツいというか、イタいというか、共感性羞恥を引き起こすために存在するワードというか。
恥を忍んで書くが、「神」という字をもじったものだった。
「○○神」とか「神○○」とか「○神○」とか、どれとは言わないがこんな感じのものだ。
神を自称するなんて、とんでもなく烏滸がましい行為である。
それに比べたら、イキリキャシーなんてマシだ。
以前イキリキャシーの由来について書いた。
sasakama-cornedbeef.hatenablog.com
大学入学直前、意識高いミドルネームのある未来の同級生に想いを馳せた結果生まれたのが「イキリキャシー」だ。
それが自分のあだ名候補になり、あだ名とはならなかったがペンネームとなった。
神は堕天したのだ。
もしくは天下り。
いや、地に足をつけたと言うべきだろう。
あの頃の自分よりはマシになったはずだ。
中学生のノリとはなんとまぁ恐ろしいものだ。
笹かまコンビーフを開設したのは、黒歴史ブログからだいたい4年ほど経った頃。
黒歴史ブログの文章たちと、笹かまコンビーフの最初の記事を見比べると、天と地ほどの差である。
作者は堕天し、天下りし、地に足をつけたが、ブログ自体は昇天した。
最初の記事↓
sasakama-cornedbeef.hatenablog.com
これは正直今読んでも面白い。
「節分にまつわる思い出」からこの記事までは3年。
この3年間で面白くなったかどうか定かではないし、もしかしたら面白くなくなっているかもしれない。
しかし、黒歴史ブログから笹かまコンビーフの4年間で面白くなったことは確かだ。
よく言えば、当時のわたしには伸び代があったということだろう。
いつかあの黒歴史ブログの文章を笑って読める時が来ますように。